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6弦です。

ふと思いつき書き込みしとります。

昨年の被災から概ね生活状況も改善し、幸いなことに音楽生活も以前に近い状況で続けられています(都内での活動は極端に減りましたが)。

一つ、変わったこととして、個人的にコピバン以外にインストのオリジナル曲を作成する習慣があったのですが、被災後途絶えたままとなっておりましてこれはイカンw、と少々焦ってもいるわけです。

さて置き、以前程ではないにしろ、プライベートにて音楽を続けられているありがたみを感じる記憶が蘇ってきましてですね… ちとダラダラ喋ってみますw

以前、もう何年も前に都内に居を構えて音楽活動をしていたことがありましてですね。バイト生活しながらいくつかオリジナルバンドに籍をおいていました。
で、何度か解散やら加入やらがあって都度、今度こそはー なんて具合にはりきっていた訳ですw。

ところがある時、鼻っ柱をへし折られるような出来事があってですね…
当時、バンドが解散した状態にあり、メンバー探しをしていた時に、とある方にお会いしまして…(当時はメンバー探しも雑誌への掲載が主だったので大変だったんですよw)、ボーカリストをしている大学生?だったかな、顔合わせしてデモ音源を聞かせてもらったりしたんです。

…すんごいクオリティでしてね。聞いたら自身の音楽歴が1年にも満たない程度だとのことで更に腰を抜かしたわけです。当時の僕は相応に経験があって(と勝手に思い込んでいた)自分の技量なんかにある程度(と、いうか中途半端?)妙な自信を持ち合わせていたりしたもんだから、 まぁすんごいショックといいますか、衝撃でしたねw

で、「ああ、プロになるようなヒトってのはこういうヤツだ」って強く感じて、バッサリ音楽活動を停めてしまう形となりました。

再開にはこれがまた7~8年程を費やすことにもなったもんだからエライ出来事でしたね。

今の仕事に就いて少々経ってからまた熱が再燃してくるわけなんですが、その際にも先の出来事が思い出されまして、今度は何もしなくなったことにエライ後悔を感じるようになりました。なんて勿体無いことをしたんだとw

そんな矢先にFay´zとの縁があった次第でして…
ギターを始めたキッカケがB´zだった自分としては水を得た魚の気分でしたw 

やりたくてもやれない…人もいるであろうこのご時世で、何より大事な音楽を好きなバンドで行えることのありがたみをこの出来事を思い出したことでしみじみ再認識しておりますw

結局、何が言いたいねん?w、と思うかもですが、まぁ改めて自分を奮い立たせるためにダラダラ述べてみた次第ですw 

では、皆様よいお年をお迎えくださいましm(_ _)m



フルメンバーでのライブが待ち遠しい6弦でしたw


あ、インストも作らないと…ww (^_^;)


最近、ただの客として知人達のライブを見る機会が増えてきた太鼓です。



当たり前ですけど、客観的に他人のステージングを観るのは非常に勉強になります。

良いとこも悪いことも全部分かるもんだ。





最近観たライブで特に参考になったことは、、、

「スネアの音の抜けにくさ」ですかね。



ライブハウスやバンド自身の音量バランスもあるんでしょうけども、スネアの音が抜けてないバンドさんが多かったり。

でもよく見るとドラマーさんちゃんとリムショットかけてたりするのに音が抜けてない...

ライブハウスでは、自分が思っている以上にリムを強めにかけて叩かないといかんのかもですね。

スネアの音作りも含めて考えさせられました(^^)





あとは「曲と曲の間の長さ、MCの重要性」ですか。

1曲終わる事に弦楽器陣がチューニング(ちなみにとても遅い)してたり、MC考えてきてなくて何も喋らない沈黙の時間が長かったり。

良い演奏だっただけに勿体なし。

そこそこ暖まってた会場が徐々に盛り下がっている感じがハッキリ分かってしまった。





趣味で音楽やってはいても、お客さんのお金と時間を割いて来てもらってるというプロ意識をより強く持たないといけんですね。

音楽始めてから早い段階で気づいていたことですけど、こうやって要所要所で「再認識と補正」してくのも必要ですね!





ライブはいつもtry&errorっすな。

次は誰のライブを観に行こうかな。


改めて音楽人生を振り返ってみる。

自分がドラムにはまったキッカケは、やはり高校時代にドハマりしていたドラムマニア(音ゲー)が事の発端だと思う。





友人に連れられて入ったゲームセンターで、ド派手に幅を利かせた大きな筐体。

画面上部から高速で落ちてくるカラフルなバーに合わせ、高速でスティックを捌く友人がとってもかっこよく見えた。

お昼の牛乳代と言われて親から毎日渡される100円玉。

大事にポケットに押し込み、退屈な授業を耐え忍び、放課後のドラムマニアの時間をひたすら待つわけ。

当時は100円で3曲遊べたわけだけど、時間にしてたかだか10分ちょい。

お小遣いが本当に少なかったからね。

友人は金持ちで毎日500円くらい平気で使うんだけど、自分はこの100円玉しかないから…たったの1回プレイが終わると、友人のプレイを後ろからずっと見続けるしかできない。





でもね。

今思えばこの「物足りない感」が良かったのかもしれない。





高校卒業後は県外の短期大学へ進学した。

入学後は、諸事情により琉球空手にのめりこむのだけど、それも長く続かずに気が付けば2年生も後期に突入する時期に。

この頃には授業もほとんどないし、卒業研究もそれほど力を入れてやっていたわけじゃないから夢の週休5日制くらいの勢い。

家に閉じ籠りひたすらゲーム三昧してたんだけど、ある日の番に何気に観ていたTVで音楽番組やっていたの。

どんなバンドだったか、今じゃ全く思い出せないんだけど、ドラムの人が物凄いかっこいいドラムを叩いているのを見た瞬間に…

「あ、これだこれ!ドラムやるか!」ってなったの。

この頃にはそんなにドラムマニアにはまっていなかったけど、ゲーセンに寄ると必ず1回はプレイしてたかな。

心のどこかでドラムに憧れがあったし、高校時代の消化不良感がまじりあって決断が速かったのかもしれない。





何も考えず勢いで走っていたお年頃でしたからねぇ(笑)

翌日には適当に見つけたメンバー募集サイトに「初心者ですけどやる気はあります!バンド組みましょう!」的な事を勢い任せに書いた記憶がある。





ほどなくして初心者でもドラムお願いしますっていう社会人バンドからお声をかけていただきまして。

人生初の雑食系コピーバンド『モンゴリアンチョップス(後日改名:Soul Mate』にドラムとして参加することに。





リーダーの趣味で…

当時の自分にとっては未知の領域だった「レッチリ」とか「ニルヴァーナ」とかをコピーしてたんだけど、最初は全く良さが分からず。

楽譜の読み方も知らなかったし、真顔でテンポキープ?何それ美味しいの?状態だたし、スネア音うるさい→打面にタオルを敷いて撫でるような叩き方したり、スティックの持ち方?ん?ん?的なね。




そんな状態でよくわからない状態のまま、3か月後にはお洒落なライブカフェでライブをやってしまったの。

頭真っ白だったけど、暖かいスタッフとお客さん、ボロボロの演奏でもやり切った後の感動といったら今でも覚えている。

少し大袈裟な表現かもしれないけど、全く新しい世界に来た感じ。

この時に既に分かっていたのかもね。

ドラムは一生モノの趣味になるなと。





そんなこんなで30歳超えた今でも元気にドラムやってますからぁ。

身体が動かなくなるまで、きっと辞めないでしょうね。





ごくたまにゲーセンに寄って音ゲー(特にドラムマニア)をガンガンにプレイしている人を見るといつも思う。

その先にもっと面白い世界があるかもしれないよぉ~って(笑)





改めてドラムマニアに感謝したい。

そんなことをふと思った二日酔いの夜なわけ。




Dr.KANZO

こだわり

2016年12月04日

「こだわり」って大事だね。

物でも事象でも、何に対しても「こだわり」を持っている人は、そのことに対して色々と調べ、検討して、自分なりの「考え」を導き出して持ってる。



何も知らなきゃ「こだわり」ようがない。

興味がないと「こだわり」ようがない。



何に対しても興味を持つこと。

それが「こだわり」を持つための第1歩かね。



「まぁ、良い塩梅でいいんじゃない?」が口癖の自分。

趣味以外の分野の話になるけど。

「こだわり」を持っている人と比べ、自分の知識・技術の引き出しの少なさに唖然としてきた今日この頃。



仕事でもプライベートでも、こういうとこで差が出てくるのね。

もっとA型らしくいかねばね(笑)

よくO型って言われます。
(O型の人ごめんなさい)




Dr.KANZO